
尾上松之助が死去するや、当時の新聞は、数十の花輪が境内を埋め、参拝者は一万を越えたと伝えている。彼は岡山県西中島で生まれた。父は池田候の藩士で、小さいときから歌舞伎芝居を見物していたので、いつしか芝居狂になっていた。六歳のとき、付近の旭座で子役が欲しいから、是非坊やを出してくれと頼まれ、これがスターになる第一歩だった。松之助があまりに芝居に熱中するので、父は彼を呉服屋に年季奉公にいかせてしまったことがある。しかし、彼は負けてはいない。奉公先を脱出し、家につれもどされたが、彼は自分の決意をまげず、結局父の許しを得て俳優の道に進んだ。
それからは旅役者となって、十九歳で一座の頭領となり、関西巡業中にマキノ省三と出会い、映画界に入った。出演した映画は千本を数え、記録破りの大スター、尾上松之助となったのである。
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