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初世 植村文楽軒

本名は正井嘉衛兵衛(まさい かへえ)。通称、道具屋大蔵。
1874年(明治7年)11月5日生まれ。
兵庫県淡路市仮屋(兵庫県津名郡東浦町)の出身。
人形浄瑠璃のことを「文楽」というが、これは初代植村文楽軒が、江戸時代後期・寛政の頃(1789〜1801年)に大坂は高津橋南詰西側の浜側に浄瑠璃稽古場を開場。
1805年(文化2年頃)に資財をなげうって新地に立人形興行を始める。これが文楽座の源流になる。

初世 植村文楽軒の墓

1809年(文化6年)、堀江市の側に移り、2年後2代目文楽軒(嘉兵衛・浄楽)が博労町の難波神社境内、通称「稲荷の芝居」に進出、興行主としての地歩を固めた。
以後、文楽軒の名は5代を数えるが、特に初代の孫の3代目(4代目とも)大蔵(文楽翁)が傑物で、明治維新の混乱期によく危機を乗り越えて松島文楽座、さらに御霊文楽座へと発展。 これに対抗して1884年(明治17年)に旗あげした彦六座との競争が人気をあおり、明治期における人形浄瑠璃の隆盛を築き上げ、文楽の名称が人形浄瑠璃の代名詞として通用するまでに至った。
初代植村文楽軒は、13歳頃から伝統ある淡路浄瑠璃の花形で、中国筋を巡業し、名声を博したといわれる。
1810年(文化7年)没。その死後は座運が傾き、42年になって経営は松竹の手に移った。

戒名 釋 樂徹 玉垣  
職業 文楽の創業者 境石  
没年齢 文化7年7月9日 74歳 竿石  
所在地 大阪市下寺町・円成院 石質 御影石
墓の方位 墓のスタイル 夫婦墓
正面入り口の方位   台座  

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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