女形役者として昭和初期に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。
1903年に養父五代目菊五郎が死去、六代目尾上梅幸を襲名。五代目の名跡と俳名を引継いだ。以後、同時代の女形を代表する役者として、五代目中村歌右衛門らとともに重きをなし、1911年に帝国劇場が完成すると、女形としては稀有なことに座頭格(専属技芸委員長)として迎えられた。以後、梅幸は帝劇を中心にして活躍することになる。
役の中でも、特に世話物の粋な女房役と音羽屋ゆかりの幽霊ものを得意とし、十五代目市村羽左衛門との共演が人気を呼び、橘屋の女房役者と言われた。芝居では『与話情浮名横櫛』(切られ与三)のお富、踊りでは『色彩間苅豆』(累(かさね))の累、『茨木』の鬼女などが当り役である。
昭和9年 (1934) 11月4日、歌舞伎座にて『源太勘当』の延寿を勤める最中に脳卒中を発症して倒れ、同月8日に死去。倒れた際、楽屋に運ばれる途中、無意識のうちにも裾の乱れを気にしていたという。
「尾上梅幸 (6代目)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2010年1月13日 (水) 19:40 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/尾上梅幸_(6代目)
戒名 |
梅壽院 |
玉垣 |
石塀50cm |
職業 |
俳優 |
境石 |
23cm |
没年齢 |
64歳 |
竿石 |
73cm |
所在地 |
東京都豊島区・雑司ヶ谷霊園 |
石質 |
花崗岩 |
墓の方位 |
北東 |
墓のスタイル |
和墓 |
正面入り口の方位 |
北東 |
台座 |
芝台20cm・下台上台86cm 合計106cm |
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