

1902年(明治35年)4月21日、新聞記者の娘として広島市細工町に誕生。
母方の祖母がオランダ人の血を引くため、エキゾチックな美貌を受け継いだ。
父の放浪癖のため各地を点々とする。
父が芸術座の島村抱月や劇作家の中村吉蔵と知り合いだった事もあり、中村の内弟子となる。
1919年初舞台。
1921年山田隆弥主宰の舞台協会公演「出家とその弟子」の芸妓楓で一躍脚光をあびる。
1924年日活に入り村田実監督の「街の手品師」で好評を得るが、
1927年撮影中の相手竹内良一と失踪、結婚。
同年より、<岡田嘉子一座>を結成し各地を巡業。
1931年映画会に復帰。1936年井上正夫の<演劇道場>に参加し演出家杉本良吉を知り、1938年12月2人で樺太国境を越え、ソ連に入る。
太平洋戦争中、ハバロフスクで対日ラジオ放送のアナウンサーとなり、戦後モスクワ放送局に日本語放送のアナウンサーとして務める。
1954年ルナチャンルスキー演劇大に入学する。
1972年より再々一時帰国し、演出・舞台出演を行い、また映画「男はつらいよ 夕焼け小焼け」にも出演。
1986年再びソ連へ帰る。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典・ウィキペディア(Wikipedia))
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