初代:中村翫右衛門の子。本名三井金次郎、屋号は成駒屋。
1911年5代目中村歌右衛門の門弟となり、中村梅之助を名乗る。
1920年歌舞伎座で名題になり翫右衛門を襲名。
1925年歌舞伎研究会<ともだち座>、1930年市川八百蔵らと大衆座を結成するなど歌舞伎の革新に力を入れ、翌1931年5月に2代目河原崎長十郎(山崎屋)・市川荒次郎(高島屋)らと前進座を創立。
古典歌舞伎をはじめ新歌舞伎・新劇・翻訳劇などの上演に活躍。
1949年劇団前進座座員71名が日本共産党に集団入党。
1952年5月24日に、北海道赤平町で「俊寛」巡演(翫右衛門の俊寛)が
警察ぐるみの組織で妨害され、
巡演当日で観客も会場に集まっているのに
上演の約束をキャンセルされたという赤平事件が起こる。
中国訪問公演ほか、ソ連・ヨーロッパを歴訪。
代表的な役は「歓心帳」の富樫、「俊寛」のほか、世話物・歴史物などに定評があった。
(参考文献:コンサイス 日本人名事典)
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