大原騒動で新島に流罪となった甚兵衛。彼は飛騨国の酒造家であったが、時の悪政幕府にたまりかねて上訴したために、島流しの身となったのだった。農民たちは彼のことを親しみと敬いの気持ちを込めて「飛騨んじい」と呼んだ。
この父を追って子の勘左衛門が、自らも新島行きを願い出て、幕府から許可を得て父の死去まで面倒をみたという。息子は父を慕うあまり、自分の石像を造って父の墓に並べている。いつまでも父の菩提をとむらいたいと、坐像には経文をつめてあるのだそうだ。島民で知らない人はいない、父と子の物語である。
古い時代にはこういう墓所はちょっとない。石像と墓、ユニークではあるが哀れをさそう。
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