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桃中軒雲右衛門タイトル

 明治時代、浪曲界の覇者として名声を高める端緒となったのは、曲師お浜が合方を勤め、雲右衛門の芸に磨きをかけたことであろう。雲右衛門がまだ繁吉と名乗っていた当時、繁吉には愛造というライバルがいた。実力は互角だったが、人気の点で愛造が一歩抜きんでていたのである。というのは、愛造の合方の名曲師、戸川花助の腕によるところが大きかった。浪花節にとって、浪曲家を生かすも殺すも三味線次第といわれるほど、曲師は重要な位置を占めているのである。
 優れた曲師を求めつつ、大浪曲師・三河梅車について興行をするうちに、繁吉は梅車の妻お浜と出会い、お互いに惹かれ合う。そして、ついに駆け落ちして関東を去ったという。
 繁吉が雲右衛門となって再び上京し、人気を得たのは明治三十九年の本郷座公演である。武士道をうたいあげた義士伝の浪曲で、広く聴衆を魅了し、雲右衛門の浪曲界での地位を不動のものにしたのである。
 墓は芸名墓で、浪曲界の人々との同居墓である。

桃中軒雲右衛門の墓
戒名 桃中軒義道日正居士
職業 明治時代の浪花節語り
没年齢 44歳
所在地 東京都品川区・天妙国寺
墓の方位 南西
正面入り口の方位 南西
玉垣 112cm
境石 5cm
竿石 180cm
石質 黒石系
墓のスタイル 背丈より高い竿石・奇型
台座 1段・高さ120cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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