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吉良善央タイトル

 三河国幡豆郡横須賀村で、吉良義央(上野介)の悪口を言おうものなら袋叩きになるだろう。故郷では名君であったことは確かだ。 
 作家堺屋太一氏が、『峠の群像』において描いてみせたように、製塩問題が松の廊下の刃傷沙汰の原因だったとしたら、吉良の領民たちにとってこれぐらいの名君はいないだろう。すべて生活がかかっているのだから。しかし浅野長矩(内匠頭)は上野介を憎んだことは確かだ。さらに礼式の指南役である上野介から指導を受けられず、辱しめをうけるに及んで、上野介を殿中で斬りつけるにいたった。内匠頭は抱きとめられ、目的を果たさず、その夜切腹を命じられた。内匠頭は無念だったろう。このような主君に対する扱いに、大石良雄はじめとする臣下の怒りは天を衝いて、心の中で復讐を誓ったという。憎しみは死んでも忘れはしない。そのことが忠臣蔵の舞台をつくり、大石良雄の活躍の舞台をつくった。
 墓は、以前は文京区万昌寺にあったが、戦後、寺ごと移された。

吉良善央の墓
戒名 霊性寺殿実山相公大居士
職業 江戸中期の高家
没年齢 62歳
所在地 東京都中野区・万昌院
墓の方位 東南
正面入り口の方位 東南
玉垣
境石 50cm
竿石 127cm
石質 台座自然石系・花崗岩(灰色系)
墓のスタイル 奇型
台座 3段・高さ83cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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