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明治天皇タイトル

明治天皇の墓

第122代天皇。在位1867年-1912年。1852年11月3日(嘉永(かえい)5年9月22日)生まれ、孝明天皇の第2皇子。幼称は祐(さちの)宮。諱(いみな)は睦仁(むつひと)。母は中山慶子(よしこ)。
孝明天皇の崩御により、16歳で践祚(せんそ)。
その10ヵ月後幕府は大政を奉還。五箇条の誓文を公布し、新政府の基本方針をしめす。明治と改元して一世一元とさだめ、京都から東京へ遷都。欧米の制度や文化をみならい、政治、経済、社会、教育、軍事を改革し、新政府(明治政府)が設立された(王政復古)。
1889年(明治22年2月11日)、大日本帝国憲法では、天皇は国の統治権、陸海軍の統帥権を保持し、内閣の補弼に基づいて行われると定められた。国民は法律に基づいて、言論、結社、集会、信仰の自由や請願の権利など各種の権利が保障され、所有権の不可侵が認められ、国民の中から選挙で衆議院議員を選ぶことになった。
1890年(明治23年10月30日)、徳育の振興が最も大切であるとされ、 わが国の教育方針を明らかにするため教育勅語を渙発された。明治天皇が国民に語りかける形式をとる。まず、歴代天皇が国家と道徳を確立したと語り起こし、国民の忠孝心が「国体の精華」であり「教育の淵源」であると規定する。それら立憲国家・近代国家確立に献身。
在位中、日清(にっしん)・日露両戦争、大逆事件がおこり、韓国併合がおこなわれた。
和歌をこのみ、約10万首の詠歌をのこした。
1912年(明治45年7月30日)61歳で崩御。墓所は伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)(京都市伏見区)。

戒名   玉垣 2重
職業 第122代天皇 境石  
没年齢 1912年7月30日歿 61歳 竿石  
所在地 京都府京都市・伏見桃山陵 石質  
墓の方位 墓のスタイル 上円下方
正面入り口の方位 台座  

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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