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岸・佐藤の実家

岸・佐藤の実家

岸信介 氏
 1896年山口県に生まれる。1957年〜1960年(第56・57代)に内閣総理大臣を務める。
 東大法学部を卒業後,農商務省に入る。1935年に商工省局長となり、翌年には満州国政府事業部次長として満州の経済軍事化を進めた。1941年に東条内閣の商工大臣となり、統制経済の実施に貢献した。
終戦後、東条内閣の閣僚として戦争責任を問われ、A級戦犯容疑で勾留されたが釈放後政界に入った。
1952年に自由党から衆議院に当選し、日本民主党との合同に尽力し、後に自由民主党の幹事長となり、自らの地位を固めていった。
1957年石橋湛山氏が病気のため退陣した後、首相に指名され内外における国家の強化に尽力した。就任後、国民健康保険法や国民年金法など社会福祉政策を推進する一方、根強い反対運動を無視して日米安全保障条約の改定を強行した。
退陣後も党最高顧問、自主憲法制定国民会議議長として隠然たる勢力を保持した。
 やはりA級戦犯だった笹川良一氏とともに、第1回国連平和賞を受賞している。 だが、この受賞と「総理としてのクリーンネス」との真贋を後世の審判に委ねる時、それらに耐えられるかは甚だ疑問と見る向きもある。
自民党政治家の佐藤栄作氏は実弟で、同じく総理大臣になった。 安倍晋太郎氏は娘婿。その子で外孫に当たる安倍晋三は、2003年に自民党の幹事長に任命された。

佐藤栄作 氏
 1901年山口県に生まれる。第61代から第63代と3期にわたり内閣総理大臣を務める。
 東京帝大法学部を卒業後、鉄道省に入省。次兄の信介氏は岸家の養子となったのと同じように、栄作氏は佐藤本家の女・寛子氏を娶り、婿養子となる。
 鉄道省勤務から総選挙に出馬を予定していたが、第二次吉田内閣で非議員ながら入閣。池田勇人氏と共に「吉田学校」の代表格だが、自由党幹事長時代に造船疑獄が発覚。犬養健法務大臣による検察指揮権の発動により逮捕は免れたが、逮捕状は出された。
 1964年11月、総理大臣に就任。実績としては、日韓基本条約の批准、建国記念の日や公害基本法の制定、小笠原諸島・沖縄の返還実現、日米安全保障条約延長などが挙げられる。1972年7月引退。
 尚、当人の没後の1998年以後に、栄作氏の従妹の相続の際に、脱税疑惑(税金漏れ)が浮上し、栄作氏当人の名誉を大きく傷つけそうになる。 又、栄作氏の妻・寛子氏の叔父はA級戦犯として起訴された松岡洋右氏である。鈴木内閣で総理府総務副長官、竹下改造内閣で運輸相、第2次橋本内閣で通産相を務めた佐藤信二氏は次男。 兄弟で首相の座についたのは、日本歴史上初めてのことである。このことは、よい方位、支配者墓の典型をあらわしている。すでに分家墓も用意されている。

戒名 玉垣
職業 昭和期の政治家 境石 45cm
没年齢 竿石 87cm
所在地 石質 花崗岩(灰色)
墓の方位 墓のスタイル 普通
正面入り口の方位 台座 3段・高さ106cm
1987年現在の資料に基づいております。
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