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足利尊氏タイトル

 戦前の教科書では逆臣と書かれた足利尊氏だが、戦後の歴史家の間では英雄の評価に変わったという。尊氏の末裔である足利惇氏は、「今でも思い出すが、青年時代鎌倉の長寿寺跡に祖先の墓を訪れた時、墓守が、『小学校の生徒が来てお墓を崩してしまうのに困ります。皆“この憎らしい尊氏奴が”と言って足蹴にかけたり踏んだりするのです』と私に告げ、わが心を云い知れぬ悲しみに浸したものです」と、戦後の『歴史読本』に「足利家衰老記」なる一文を記しておられた。後裔としてはさぞかし無念至極であったろう。
 歴史家の桑田忠親氏は著書で、「尊氏が、日本史上の一流人物であり、政治家であり、謀略家であり、かつ英雄であったことは疑いない。尊氏が帰依して、後醍醐天皇の冥福を祈るため建てた天竜寺の開山夢窓国師は、尊氏の美徳を挙げて、第一に、心つよくして、合戦のあいだ身命を賭すべき危機に臨むこと度々に及んだが、笑みを含み、畏怖の色がなかった。第二に、慈悲はその天性で、人を憎むことを知らなかった。第三に、心広大にして、物を惜しむ気持がなく、金銀も土石のごとくに人に与えた、と述べている。戦乱の世の習いとして、尊氏配下の諸将の向背は常ならなかった。しかし、かれは、常に赦した。いちど謀反したものでも、また降伏してくると、温かく迎えた。そういう寛大さが諸将の心をつかんで放さなかったのだろう。そうした意味で、尊氏は、頼朝、信長よりも人物が大きかった」と記している。
 そしてまた、墓地全体が寺であることは、スケールの大きさを物語っている。

足利尊氏の墓
戒名 -
職業 室町幕府初代将軍
没年齢 54歳
所在地 京都市上京区・等持院
墓の方位
正面入り口の方位
玉垣
境石
竿石 120cm
石質 軟石系
墓のスタイル 宝塔の変型
台座 高さ60cm(台石前面に大きな傷有り)
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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