昭和初期の激動期の総理大臣として、犬養毅が歴史に名を残したのは、いうまでもなく5・15事件で射殺されたからであろう。
昭和七年五月十五日、海軍の若い将校と、陸軍の士官候補生の一団によって、首相官邸で暗殺された。
血気にはやる青年将校たちに、「話せばわかる」と言いきった木堂(ニックネーム)の勇気は、当時の人々に共感をよんだといわれている。
負けず嫌い、分別くさい理屈屋、勉強家だが口が悪い、先の見通しが早い、不義を憎む熱血漢、などの評がある。
体は小さく風采はぱっとしないが、勉強家で、十四歳の時に父を失い、家計を救うために“塾”を開いたほどの努力家だった。
慶応義塾に学んだが、学資が続かず中退。西南の役に従軍記者として健筆をふるい名をなしたという。
国会開設以来、貧乏代議士として出馬、政治家のスタートをきった。
東京青山の墓所は、次男と共に眠っている。そしてまた郷里の岡山にも先祖代々の墓地に祀られている。
戒名 |
台光院殿沈毅木堂大居士 |
玉垣 |
92cm |
職業 |
明治・大正・昭和期の政治家 |
境石 |
無 |
没年齢 |
78歳 |
竿石 |
86cm |
所在地 |
東京都港区・青山霊園 |
石質 |
灰色系 |
墓の方位 |
北西 |
墓のスタイル |
普通 |
正面入り口の方位 |
北西 |
台座 |
3段・高さ96cm |
|
1987年現在の資料に基づいております。