

椿山荘は、かつては明治政府の影の実力者・山県有朋の別荘であった。
現在はガーデンレストランになっているが、東京のどまん中にある約二万坪の大庭園は見事である。
天保九年長州に生まれた有朋は、吉田松陰の松下村塾で学び、尊攘派の志士と交わった。
足軽よりも低い身分の生まれだったが、維新の激動を生き抜き、日清・日露戦争と前後して第一次・第二次山県内閣を組閣し、
権勢は衰えを知らなかった。徴兵令を制定し、軍を政府から独立させるなど、日本の陸軍の中心人物だった。
教育勅語を発布した人物としても知られている。
墓は権力者だった彼にふさわしく、広くて立派だ。夫人と仲良く祀られている。
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