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大隈重信タイトル

大隈重信の墓

「大隈重信ぐらいスケールの大きい政治家はいまい」と、歴代首相に仕えた松沢辰蔵が語っている。 先祖は、代々有名な砲術家として藩主に仕えた名門の出であった。 明治維新という時流に乗った重信は、多くの先輩、友人、知人の引き立てで若くして明治政府の中核に入り込んだ。 もともと自信家、楽天的、負けず嫌い、議論好きで外交的、開放的、万事が大まか、 老獪、記憶力大の重信の性格は、生まれながらの政治家だったといえよう。 第二次松方内閣の外務、第一次大隈内閣の首相、外務兼任、第二次大隈内閣など、すべて第一線を歩いたが、 右翼の爆弾テロによって右足切断の憂き目にもあっている。
 学校設立に情熱を捧げ、若者を育てなければと、東京専門学校を創立した。 これが現在の早稲田大学である。晩年に至るまで青年のような純粋さと情熱を持ち続けた人物であった。
 明治の政治家たちの墓は、平均して大きな墓石で祀られている人が多い。 大隈重信の墓石も、空を見上げるほど大きい。 墓地の広さといい、墓石の高さといい、「大隈の大風呂敷」などといわれても当然かもしれない。

戒名 鳳猷院殿尚憲重信大居士 玉垣 72cm
職業 明治・大正期の政治家 境石
没年齢 85歳 竿石 230cm
所在地 東京都文京区・護国寺 石質 花崗岩(白色系)
墓の方位 西 墓のスタイル 巨大
正面入り口の方位 西 台座 3段・高さ181cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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