西園寺公望ぐらいスケールの大きい政治家は二度と生まれまい。戦後の吉田茂と好対照である。嘉永二年に生まれ、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和にまたがる生涯は、近代史そのものだといえよう。唯一人の元老として、重臣中の重臣として、政界に重きをなし、九十二歳の天寿をまっとうした。
政界へのデビューは早く、そして変わり身が鮮烈である。王政復古、二十歳で権中納言、山陰道鎮撫使奥羽征伐越後国総督。薩長の横暴に反抗して私塾を開く。フランス留学からの帰国後、中江兆民らと『東洋自由新聞』を発刊。伊藤博文に認められ、憲法草案のアドバイザーとして渡欧。つねに政治の主流を泳ぎまわり、まさに政界の重臣だった。
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