権力を握ったら負犬になるな、相手が誰であろうと潰さねば、自分も危ないとする政治力学は大久保利通のもって生まれた天分からついたものだろう。力を合わせ、維新を闘ってきた西郷と大久保の両雄は西南戦争を起こしている。世にいう征韓論をめぐる両者の分裂で、今だったら政権交代ですむものが、戦争にまで発展してしまった。
西郷には倒幕後のビジョンがなかったのに対し、大久保は建設的な思考を持っていたといわれている。無口なムダのない言葉からは、まわりの人々に冷徹さと偉容を感じさせたという。暗殺されるまで、明治政府の中心的な存在だったし、陰謀家としての力は測り知れなかった。
墓はまことに大きく、権力を得た人の墓である。墓の入り口に鳥居があり、さらに石戸門がある。儒教の流れをくみ贔いき(竜の子)の上に竿石が建立されている。その竿石の高さが五メートルもあるのは、日本一であろう。秀吉よりも高い。
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