戦後の政治家で“沼さん”ぐらい親しまれた人物はいない。巨体を動かしながら、ダミ声で語る口調が印象的であった。
大衆政治家として、日本社会党の委員長として政界の荒波と闘い、その生涯の幕を暗殺者山口二矢の手で閉じた。
忘れようにも忘れられない政治家の一人である。
蛙の子は蛙、父は三宅島の村長をしていた。父は医学部への道をすすめたが、“沼さん”は早稲田大学政経学部へと入ってしまう。
このために自立しなければならなかった。学費かせぎに万年筆屋を始める。この頃、左翼の学生たちとの交流がはじまる。
生涯の信条として、「人間同志が争うことからの解放。そしてお互いに協力し合って、
泥棒や乞食や貧乏人のいない社会をつくりたい」を決め、社会主義運動家としての道を歩んだという。
自ら「人間機関車」と称する行動型の現実政治家であった。
墓石も巨体を意味するように大きく、だれでも迎え入れる気楽な墓は、まさしく生前の“沼さん”の墓である。
戒名 |
- |
玉垣 |
無 |
職業 |
昭和期の社会運動家・政治家 |
境石 |
19cm |
没年齢 |
61歳 |
竿石 |
縦88cm・横123cm |
所在地 |
東京都府中市・多磨霊園 |
石質 |
花崗岩(白色系) |
墓の方位 |
北東 |
墓のスタイル |
洋式墓 |
正面入り口の方位 |
北東 |
台座 |
1段・高さ24cm |
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1987年現在の資料に基づいております。