大村益次郎ぐらい人生を百八十度転換した人物はいない。医者から兵学者へ。あたりまえなら平凡な僻村の開業医として一生を送っていたことだろう。時代がにわかに彼の登場をうながし、二十一歳の時に、彼は全国にその名の高い大坂の緒方洪庵の門を叩いた。その間、医学にとどまらず、後年の「徴兵制度」の基礎であった「農兵論」をはじめ、兵学、築城学、砲術と毛色の変わったヨーロッパの兵制を学んだ。
いったん故郷に帰ったが、恩師緒方洪庵の勧めで、伊予宇和島藩に出仕して自分の能力を発揮しはじめた。日本でははじめてともいうべき蒸気船(黒船)を造りあげて人々の度胆を抜き、せっせと西洋兵書の翻訳に励み、兵学者として世間に名が伝わっていく。
その後江戸に出てからは立身出世まっしぐらで、靖国神社の創始者でもある益次郎だが、彼が施行しようとした〈廃刀令〉〈兵制改革〉に不満な分子に斬られ、その傷がもとで四十六歳の生涯を閉じた。
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