1854年(安政元年)、薩摩藩士伊地知直右衛門の長男として生まれる。
薩摩閥の1人であり、最初の妻は大山巌元帥の姪。御親兵(後の近衛兵)に抜擢されて上京。陸軍幼年学校を経て、1875年(明治8年)12月に陸軍士官学校入学。
1877年(明治10年)4月から翌月まで西南戦争に出征した。1879年(明治12年)2月、砲兵少尉に任官し、同年12月、陸軍士官学校を卒業。
1880年(明治13年)にフランス、4年後にドイツに留学。日清戦争には第2軍参謀副長として出征。大本営参謀、参謀本部第一部長、駐英武官とエリートコースを順調に進んだ。
1904年(明治37年)5月、陸軍少将の時に旅順要塞攻撃のため新設された第3軍参謀長に就任し総司令官である乃木希典大将を輔弼した。
司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』では頑迷で無能な悪玉参謀長として描かれている。
1905年(明治38年)1月、旅順要塞司令官に任命され、東京湾要塞司令官に転じ、1906年(明治39年)7月、同期首席で陸軍中将に進んだ。
1907年(明治40年)9月、日露戦争の功により男爵となる。
1908年(明治41年)12月、第11師団長に親補され2年弱在任。
1910年(明治43年)11月に待命、翌年11月、病気により休職。
1913年(大正2年)1月、予備役編入となった。1917年(大正6年)没。
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