1922年3月19日和歌山県海南市に生まれる。中国で商社マンをしていたが、招集後、陸軍中野学校でゲリラ戦の訓練を受けたあと1944年フィリピンに派遣され、ルバング島で残置諜者となるよう命令を受ける。
しかし、戦争が終わった後、彼らに任務終了の命令が届かず、戦後も同島で部下の兵士2人と戦争を続けた。2度に渡る原住民との交戦で部下を射殺され、最後は小野田一人となる。
その間、何度も終戦を知らせるため様々な人物がルバング島を訪れるが、小野田らは米軍の謀略ではないかと考え姿を現さなかった。1974年かつての上官の命令に応じてようやく投降、30年ぶりに故国の土を踏むこととなる。
帰国してから1年後、ブラジルに渡り牧場経営を手がける。それを成功させ、大牧場主となってから再び日本に戻り、現在は「小野田自然塾」を主催して、子供たちにアウトドア生活の指導をしている。
すでに寛郎本人の墓が建立されている(昭和34年12月12日付)。自殺したといわれる妹と一緒だった。
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