

講談などで正義の味方のように描かれていて、半ば伝説的な人物である。
「たらいに乗ってのご登城」などのエピソードは、根拠があるものではないそうだが、
彼が子孫のために書いた『三河物語』は当時の旗本の様子を知る上で貴重な資料となっている。
幼少の頃から徳川家康に仕え、数々の武功を挙げるが、時代が流れて平和な江戸の世になると、出世からは取り残されて不遇な晩年だったようだ。
初代の墓から左に子孫の墓が並び、本人の墓はすばらしい屋形の中に囲まれている。
ただ、宝きょう印塔の上部が屋根を突き破っているのが奇妙だ。
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