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中岡慎太郎の墓タイトル

中岡慎太郎の墓

中岡慎太郎は、一八三八年に土佐国安芸郡北川郷の大庄屋の長男として生まれた。
幼い頃から学問をよくし、武芸にも秀でていた。高知や江戸に遊学していたが、二十歳の時に父が病気になり、結婚して大庄屋見習となる。
 ある年、村を飢饉が襲った。食糧に苦しむ村民のため、慎太郎は非常米を探して、やっとサツマ芋五百貫を入手する。 しかし、これではまだ不足するので、役人に米を解放してくれるよう交渉するが、夕刻のため蔵人がいず、 翌朝まで頑張って、ついに蔵を開いて、村民に米を配らせたという。 慎太郎の死後も、村民はこの行いを忘れられず、のちに碑を建てている。
 一八六一年、慎太郎は土佐勤王党盟約に署名した後、妻も子供も捨てて倒幕運動に身を投じることになる。 龍馬が海援隊を組織すると、自らは陸援隊の隊長となり、幕末の日本を駆け抜けた。 薩長同盟は龍馬の手柄のように語られがちであるが、実は慎太郎の功績が大きいともいわれている。
 一見して、清々しい墓である。維新を見届けられずに散って行った二人。盟友・坂本龍馬と仲良く並んで同じ所に眠る。

戒名 - 玉垣 95cm
職業 幕末期の志士 境石 41cm
没年齢 29歳 竿石 130cm
所在地 京都市東山区・護国神社 石質 -
墓の方位 西 墓のスタイル 奇型・細長い竿石
正面入り口の方位 西 台座 1段・高さ10cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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