
戦後のマスコミ界に君臨し、「大宅文庫」を産み出した程の資料収集力を誇る大宅壮一。
「一億総白痴化」「駅弁大学」等、次々と流行語を作り、わたしたちの代弁者として、また親しめる“おじさん”として様々な話題を撒いてくれた。マスコミ界の帝王と呼べるのは、明治が徳富蘇峰、昭和は大宅壮一であろう。
厳正中立、反骨と革新、不偏不党、徹底した是々非々、庶民主義、雑草教育論、弱きを助け強きをくじく大宅の主張は、
戦後のわたしたちにどれほど“ものを判断する眼”を養わせてくれたことだろう。
彼の偉業を讃える「大宅壮一賞」は、マスコミ界に登龍する後進たちの励みになっている。
彼の反骨精神は、すでに少年期に形成されていたという。
中学を中退し、独学で第三高等学校(現京都大学)に入学したが、三高も退学して、筆一本で活躍して生涯を閉じた。
晩年は息子を先に亡くした悲しみをかくしきれなかった。
「大宅家之墓」と刻まれた墓に、息子とともに眠っている。
戒名 |
衆生院釈茫壮一大居士 |
玉垣 |
- |
職業 |
大正・昭和期の評論家 |
境石 |
44cm |
没年齢 |
92歳 |
竿石 |
60cm |
所在地 |
鎌倉市・瑞泉寺 |
石質 |
花崗岩(白) |
墓の方位 |
南南西 |
墓のスタイル |
普通 |
正面入り口の方位 |
南南西 |
台座 |
高さ62cm |
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1987年現在の資料に基づいております。