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住友一族

住友一族は日本を代表する住友財閥の創業者一族。
始祖は「住友」の姓を称して備中守に任じられ室町将軍に仕えていたことから始まる。
世界財閥家系のなかでも、最も古い歴史を持つ住友家は元々は武家の歴史を歩んできた。その後長行が、武家の激しさと無情を感じたのかその世界から離れ、その子孫である長行の次男が小次郎政友は仏門に一旦身をおくこととなる。寛永年間に涅槃宗が天台宗に吸収されたると還俗し、書籍と医薬品「富士屋」を興し、号を嘉休として修道三昧の生活を始めた。これが創業といわれる。住友忠重が『始祖』ということになるのだが、住友家には『家祖』と『業祖』と2つの創業者も存在した。業祖といわれるのは蘇我理右衛門で、南蛮吹きといわれる銅精練の技術を開発。その後理右衛門の長男、理兵衛友以を養子に迎え「家祖」と「業祖」が結合する。政友は商売上の心得を『文殊院旨意書』にまとめているが、現在に至るまで住友グループ各社の社是の原型となっている。
寛永元年に二代目の友以は商業の中心になりつつあった大坂へ出張所を出し、精錬業を営み大成功をおさめる。これが住友財閥の起源である。

住友一族

寛文2年(1662年)には住友家は鉱業と金融業を握るコンツェルンを確立し、日本の四大資産家の1つにあげられていた。友以・友信・友芳の三代を通して江戸期の興隆期を迎え、終戦時には本社が投資していた会社は120社にのぼり、公称資本金総額は100億円にのぼる規模であった。しかし日本の敗戦に伴い昭和20年(1945年)10月19日、住友本社理事会は自発的解体、本社の解体と傘下企業に対する統轄の廃止を決定し家長の決裁を得た。
1949年(昭和24年)住友各社の協力関係維持のため、住友直系12社の社長によって白水会が設立、連帯意識の統一に成功した。現在は住友銀行が三井グループの中核銀行と合併し三井住友銀行が発足した事に伴い、金融では三井住友フィナンシャルグループが誕生し住友系と三井系の合併や業務提携が相次いだ。
また例年4月25日、有芳園の庭園の奥にある『芳泉堂』と呼ばれる小さな祠があり住友家と住友グループの物故者の慰霊が行われている祠堂祭が長い歴史の中である。なお、4月25日は「業祖」蘇我理右衛門の命日である。

戒名
文珠院空禪
(家祖・住友小次郎政友)
玉垣  
職業 商人 境石  
没年齢 政友・享年68歳 竿石  
所在地 大阪市天王寺区・實相寺 石質 御影石
墓の方位 墓のスタイル 和型
正面入り口の方位   台座 蓮華台

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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