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松方 幸次郎タイトル

松方 幸次郎の墓

1866年1月17日(慶応元年12月1日)生まれ、薩摩国鹿児島出身。
1884年(明治17年)に東京帝国大学を中退し、青年時代はアメリカに渡り、エール大学で法律の博士号を取得し、その後ヨーロッパに遊学。
帰国してからは、1891年(明治24年)第一次松方内閣組閣に伴い、父の首相秘書官となり、造船業で身を立てた川崎正蔵に見込まれ、1896年(明治29年)川崎財閥創設者・川崎正蔵に要請されて株式会社川崎造船所初代社長に就任。
社長任期中、乾ドックやガントリー・クレーンの導入など造船設備の拡充を進め、また第一次大戦にともなう船舶需要の増大から莫大な利益を得た松方は、この利益を元手に、ヨーロッパで美術品の蒐集を行い、絵画、彫刻、浮世絵は松方コレクションの名で知られ、その一部は国立西洋美術館の母胎となった。
しかし大正9年から昭和6年までの連続不況期に、慎重な不況対策を一切採用せず、無謀ともいえる多角化戦略のため昭和2年の金融恐慌で、川崎造船所に巨額の融資を行っていた兄の松方巌が頭取を務める十五銀行も破綻し、川崎正蔵が築き上げた川崎財閥を崩壊へと追いやった。その責任をとって社長を辞任。買い集めた美術品をも売り立て、経営立て直しに向けて、ソ連との石油取引成功により経済基盤を整えることになったが、散逸した美術品を取り返すことはなかった。
その後、奇跡的にフランスに残され、第二次大戦中に敵国人資産とされ、フランス政府の管理下に置かれた松方コレクションが国立西洋美術館の開館とともに日本に寄贈返還されたが、それを見ることなく1950年6月24日、鎌倉にて没した。


戒名   玉垣  
職業 明治・大正・昭和期の実業家・政治家 境石 55cm
没年齢 1950年6月24日 没 89歳 竿石 100cm(幅48cm 奥行49cm)
所在地 東京都港区・青山霊園 石質 花崗岩
墓の方位 墓のスタイル 和型三段墓 芝台付き
正面入り口の方位 台座 上33cm(幅33cm 奥行33cm)
中41cm(幅121cm 奥行121cm)

墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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