慶応義塾卒業後、また従兄弟の磯野計が横浜で日本郵船の、
シップチャンドラーとして創業した明治屋に入る。
当時の明治屋はジャパン・ブルワリー社の「キリンビール」の販売を一手販売契約していた
ハイキン症(肺炎の一種)で39歳の若さで急逝した磯野計に代わって1903年明治屋の二代目社長に就任。
「キリンビール」の拡売により、ジャパン・ブルワリーと明治屋の経営発展に大きく貢献する。
1907年にジャパン・ブルワリーを買収し、麒麟麦酒株式会社を設立。専務取締役に就任した。
異業種の企業設立にも参画し日本経済の中枢でその手腕を発揮し続けた。
1920年には機械、金属、雑貨の輸出入を目的に米井商店(現在のヨネイ)を創業した。
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