

1889年、現在の福岡県久留米市に生まれる。
病床の父の命により家業の仕立物屋を継承する。
1906年、足袋専業に改め、経営の近代化に取り組んだ。
当時、勤労者の間で使われていたわらじに替わる履物として、地下足袋を開発する。
他にも下駄やわらじに替わるゴム靴の量産など、独創的な経営で事業を拡大、発展させていく。
将来のモータリゼーションを確信して、
1931年、自動車タイヤの製造メーカー(当時の社名:「ブリッヂストンタイヤ(株)」を設立、
自動車タイヤの製造を開始した。
その後、日本の自動車産業が発展し、ゴム業界のトップメーカーとして成長した。
事業に加え社会・文化・教育にも情熱をそそぎ、
1956年には、石橋文化センターほか各種教育文化施設を、久留米市に寄付している。
ブリヂストンタイヤ・日本合成ゴム各会長、日経連・経団連常任理事。
2002年には長年の功績を称えられ、日本自動車殿堂に叙せられた
(参考文献:コンサイス 日本人名事典・ウィキペディア(Wikipedia))
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