
安永2年(1773)11月25日加賀国宮腰(現在の石川県金沢市金石町)に生まれる。
六代前の吉右衛門から両替商を営んでいたため、屋号を銭屋と称していた。
祖父から五兵衛を名乗り、父弥吉郎(六代五兵衛)の時には金融業、醤油醸造業の傍ら一時海運業も営んでいた。
17歳で家督を継いだ五兵衛は新たに呉服・古着商・木材商・海産物・米穀の問屋なども営むが、北前船を使って海運業に本格的に乗り出すのは50歳代後半からでその後約20年間に江戸時代を代表する大海運業者となる。
加賀藩からは銀仲棟取(ぎんずわいとうどり)問屋職・諸算用聞上役(しょさんようききあげやく)をおおせつかり、藩の金融経済の大切な仕事に尽くし、たびたび御用金の調達もした。
晩年は河北潟干拓事業に着手するが、死魚中毒事故にかこつけた反対派の中傷による無実の罪で嘉永5年(1852)11月21日獄中で80歳の生涯を終えた。
墓は真新しく作り直されているが台石と竿石が違い、しかも竿石は黒系でありここに彼の晩年の非運がみられるようである。
戒名 |
ー |
玉垣 |
無 |
職業 |
江戸後期の加賀の豪商・海運業者 |
境石 |
12cm |
没年齢 |
80歳 |
竿石 |
62cm |
所在地 |
石川県金沢市 |
石質 |
花崗岩 |
墓の方位 |
南西西南 |
墓のスタイル |
普通 |
正面入り口の方位 |
西南 |
台座 |
4段・高さ140cm |
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1987年現在の資料に基づいております。