1670年、住友家において「銅山開発の祖」といわれる友信の子として生まれる。住友家5代目当主で住友中興の祖。
1685年、為替不達事件の引責で隠居した父友信の後を継ぐ。1690年に別子銅山と吉岡銅山の開発により住友家を再興した。
1702年別子銅山の永代嫁行権を獲得するとともに幕府は御用銅増産のため、排水費の補助・払い米・林野の払い下げ・道路建設などで多大の援助を与えたため、住友家の発展はゆるぎないものとなった。
1714年から3年間正徳金銀鋳造のため、幕命により元禄・宝永銀から銅分の吹き分けを担当した。
元禄末年より産銅高が減少し、1715年に吉岡銅山を閉鎖、その4年後別子・立山両銅山の併合をみないまま世を去った。
財力のあるものらしく素晴らしい庭園墓。ただし代々墓は他のところにあり、友芳の墓のみがここにある。
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