
浅野総一郎は、石炭・回漕・セメント・石油の四本柱で、浅野財閥を築き上げた。
回漕では日本初の巨船をつくり、セメントでは技術革新をしたが、始めから順調だったわけではない。
十五歳で商売を始めるが失敗。十九歳の時に、養子先で産物会社を起こして評判になるが、これも失敗して離縁されてしまう。
“損一郎”などとあだ名されて、借金から逃れるために上京する。
上京してからは、お茶の水の水に砂糖を混ぜて冷やして売ったり、竹の皮を売ったり、し尿処理をしたり、
とにかく元手のかからない商売を次々と始めた。そして、コークスを安く払い下げてもらったところ、
コレラの流行でコールタールが必要となったため、初の大儲けにつながったのである。
それからは、払い下げのセメント工場を経営したのが始まりで、とうとう三十社を超える会社の社長にまで登りつめた。
墓は、一代で財をなした人物の典型といった感がある。夫人と同じ芝石に眠っている。
戒名 |
積功院殿偉業総成大居士 |
玉垣 |
153cm |
職業 |
明治・大正期の実業家 |
境石 |
28cm |
没年齢 |
83歳 |
竿石 |
177cm |
所在地 |
神奈川県横浜市・総持寺 |
石質 |
白系花崗岩 |
墓の方位 |
東南 |
墓のスタイル |
巨大 |
正面入り口の方位 |
東南(北、東の入口もある) |
台座 |
3段・高さ148cm |
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1987年現在の資料に基づいております。