
鴎外は山陰の山の中の町津和野に、津和野の御典医である父の長男として生まれた。母は気位が高く、息子の出世のみを祈り、鴎外に学問の道で身を立てるよう励ました。彼は、十三歳で東京大学予科に入学した天才児だった。東大医学部を卒業後にドイツ留学、この頃から文学の世界に目を向け、帰国後ドイツ文学の紹介や、ゲーテの『ファウスト』を翻訳したり、留学時代の思い出『舞姫』やら、『雁』『山椒太夫』など不朽の名作を発表した。
本名は森林太郎、軍医総監として永く陸軍省医務局長を務め、腸チフスの予防接種では世界的な元祖だった。
合理主義者らしく墓についても遺言を残している。「墓ハ森林太郎ノ外一字モホル可ラス。死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。奈可(いか)ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス。余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲」。本名墓である。
戒名 |
貞献院殿文稈思奈居士 |
玉垣 |
無 |
職業 |
明治・大正期の軍医・小説家・評論家 |
境石 |
25cm |
没年齢 |
61歳 |
竿石 |
111cm |
所在地 |
東京都三鷹市・禅林寺 |
石質 |
黒色系 |
墓の方位 |
西 |
墓のスタイル |
奇型に近い |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
2段・高さ53cm |
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1987年現在の資料に基づいております。