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野口雨情タイトル

野口雨情の墓

「おれは河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき
どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れすすき 」(船頭小唄)
 野口雨情の歌は、身にしみ入るような感じがする。冒頭の『船頭小唄』をはじめ、 『波浮の港』、『十五夜お月さん』などの歌は、雨情の不朽の名作だろう。 いまもわたしたちの胸の中に生きつづけている。
 雨情は、北茨城市磯原町で生まれ、大平洋の黒潮の浜近くで育った。 父量平、母てるの長男として生まれ、本名は英吉という。 家は代々水戸藩の郷士として、学問を尊重し、勤皇の思想に深く共鳴した一家だった。
 幼年期の雨情は、わがままで気が弱く、潔癖だった。 母に可愛がられていたのはいうまでもないが、母の手にかからなければ、女中の盛った飯などは絶対に口に入れなかったという。 成績はよく、高等科に進んでからは新体詩に興味を持ちはじめ、地方の草刈唄や籾打唄を蒐集していた。詩人としての、芽ばえでもあった。
 坪内逍遥に師事し、公吏、農業記者生活を経て、歌謡、童謡作家として認められるに至るが、借金はかさみ、詩は売れず、磯原きっての旧家である広い山林と土地を飲み荒らしたという。一時は芸者と情死をこころみた逸話も残っている。

戒名 - 玉垣
職業 大正・昭和期の詩人 境石
没年齢 64歳 竿石 100cm
所在地 茨城県北茨城市磯原町 石質 黒系
墓の方位 墓のスタイル 普通
正面入り口の方位 台座 3段・高さ105cm
1987年現在の資料に基づいております。
※番地等不詳のため、墓地の詳細は不明です。

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