明治、大正、昭和にかけて、文豪としてその足跡を遺した作家『泉鏡花』ほど、強烈な作風を築き上げた人はいまい。評論家たちは、「螺鈿作りの如く、繊細で緻密な幻想の世界や粋や侠の世界を描き出している。ロマン主義的陶酔の中の正義・義理人情を歌いあげている。」と評している。
「ありがとう」と一語、臨終の言葉は静かだったと記せられている。北陸は金沢の生まれで、作家を志して上京、尾崎紅葉の門下に入り、小説の勉強を続けた。はじめのうちは、作品を発表しても不評だったが、『夜行巡査』『外科室』でようやく観念小説の作家として認められ、師匠である尾崎紅葉を乗り越えた。幼くして母を失った鏡花の文学では、母のイメージは慈悲深い観音のように美化され、女性への憧憬がちらつく。いうならばロマンチスト鏡花であったのだ。
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