巖谷小波は、真剣に児童文学の世界と取り組んだ、数少ない作家である。彼が病床に伏したとき、枕頭には全国の少年少女から送られた見舞い状が、山と積まれたという。それほど少年少女に人気があったのである。
小波は二十歳の時、尾崎紅葉、川上眉山らと碩友社を起こし、新進作家として知られたが、明治二十四年、おとぎ小説の『黄金丸』を発表して新生面を開いた。その後は少年世界・少女世界・幼年世界を発刊、児童文学に力を入れていった。ドイツには三度も訪問し、グリム・アンデルセン童話を日本に紹介した。アンデルセン五十年祭には、アンデルセン文学を日本に紹介した功績でデンマーク国王より勲章を贈られた。さらに『日本お伽話』、『日本昔噺』各二十四冊の大作を発表したうえに、『世界のお伽話』を百冊まで集大成し、日本の児童文学の草分け的存在となった。
墓はクリスチャン墓で、一代成功者の墓といった方がふさわしい。
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